湯河原へ行った続きです。
翌日の朝、朝風呂に入りさっぱりしたところで、朝食の時間になったので大広間へ。
同じ席で出された料理がこちらです。
右の鍋はアジの開き、左の鍋は湯豆腐が入っていました。
これにご飯とみそ汁が当然付くわけですが、これもまた思いのほか量が多かったです。流石に昨日の夕食ほどではありませんが、ご飯をおかわりすることなく食事を終えました。
最近というかここ十年ほどは専らビジネスホテルばかり泊まっていたので、普通の旅館やホテルの食事がどういったものかよくわかってなかったりするのですが、こんなに量が多いものなんですかね?
味も悪くなかったし、これだけの量を食べられるのなら文句はないのですが、少し疑問に思ったので。
というわけで、今日は小田原城へ行きたいと思います。
電車に乗って20分ほどで小田原に着きました。ここから10分ほど歩くと小田原城です。
天守閣内にある資料や説明を読んで気づいたのですが、後北条氏がこの地を治めて100年近く内紛らしい内紛が起きていなかったんですよね。
足利幕府になってから、日本の至る所で親族同士の内輪もめが横行していた世の中にあってこれは稀有な例ですよ。
内政面でも他国より低い税制、中間搾取を廃止したりと公正な政を実施したおかげで、安定した統治を行っていたところを見ると、広大な関東一円を治められたのもうなずけますね。
あとは、後北条氏の開祖となった北条早雲(伊勢盛時)が浪人から戦国大名にのし上がった説が否定されていたことですかね。
私が子供の時はまだその説が有力でしたから、子供向けの本(日本の歴史漫画版)にはそちらで描かれていました。
現在では備中伊勢氏の出自で、幕府の要職に就いていた説が有力なようですね。
それと、後北条氏が北条の姓を名乗るのは早雲の嫡男である氏綱になってからであって、伊勢盛時が北条早雲と名乗ったことがないことは初めて知りました。
私が子供の頃に読んだ歴史の本には鎌倉時代の北条氏と戦国時代の北条氏は何も関係がないと書かれていましたけど、近年では氏綱の正室が鎌倉北条氏の末裔である説も出てきたので、全く無関係というわけではないようですね。
さて、新たな歴史の勉強も済んだのは良いとして、時刻はまだ昼過ぎたばかりなんですよね。まだホテルに戻るには早いしどうしたものかと考えていたら、そういえば熱海がすぐ近くにあったなと。
今回の目的地の候補にも挙げていた所ですが、私が最後に熱海へ行ったのは30年近く前なんですよ。
その時は祖父母が住んでいた区の保養所に泊まって海水浴へ行ったのですが、その保養所も20年近く前に廃止され取り壊されたそうです。
折角なのでその跡地と昔通った道筋を辿ってみることにします。
再び電車に乗って20分強、県境を越えて静岡県の熱海へやって来ました。
........................やって来たのは良いのですが、ここ本当に熱海ですか?
駅舎が何か随分とオシャレになっているのですが........................
自分の微かに残っている記憶をたどっても、過去の熱海駅とまるで合致しないですね。まあ、オシャレな建物に変わっても駅前の人だかりは昔と変わらないようです。
だって、年配の方ばかりなんですもの。
それはそうと、それではかつてあった保養所の跡地へ行くとしますか。
駅を出て西へ行き平和通の商店街を抜けて数十メートル進むと右へ分岐する道があります。
そう、確かこの道を登って行ったんですよ。
途中鉄道のガード下をくぐり
ひたすら坂道を登って行きます。
登っていくと簡単に書いていますが、これが結構急な坂でちょっとキツイです。
というか、小学生だった当時の私は、こ、こんな坂道を、う、海に行く度に、の、登って、いたんですか?
今じゃ絶対考えられん! それに同伴していた両親と祖父母は凄かったんだなあと改めて実感しました。
今の私の年齢は当時の両親と同じくらいなはずなんですが............(;・∀・)
そして、ようやく目的地へ到達しました。
写真の左手にかつて保養地があったのですが、現在は個人の住宅が建っているのでこれ以上詳細な写真を撮るわけにはいきませんでした。
写真中央の道路の真ん中に立っている木が目印だったのは今でも覚えていますが、まだ残っていたとは............
写真だと木に隠れていますが、この道をさらに登って行くと、斜面に階段のような造りになっているマンションがあります。
ネットの拾い物画像で申し訳ありませんが、ちょっとうまく撮れなかったもので。
あまりに巨大なので海からも見えるのですが、以前来た時には既にあったのでそんな前からあるんだと思ったら、竣工が1989年だそうです。
ということは、昔の私が見た時はまだ新築だったんですか。子供ながらに、なんかすごいのが建ってると物珍しそうに見た記憶が残っていましたけど。
当時はバブル景気で色々なところにリゾートマンションが作られていましたからね。
マンションの名前は今まで知らなかったのですが、調べてみると「熱海パサニアクラブ」という名前らしいです。
まあ、どのみち私には一生縁のない所なんで、そろそろもと来た道を戻ることにします。
急斜面なので降るときも多少注意しないといけません。もし雨が降っていたら滑る可能性は大きいでしょうね。
ただ、所々滑落防止用に地面に溝が彫られているので、一気に駆け下りたりしなければ大丈夫だと思いますが。
さて元の通りに出たはいいものの、かつてここからどこを経由して海に行ったのかまったく覚えていないことです。辛うじて覚えているのが途中階段を使ったことぐらいで、あとはさっぱりです。
スマホのマップを頼りに何となく道筋に沿って歩いて行き、海へ着いたもののこの道じゃなかった気がするんですよね。
私が微かに覚えている記憶だと、こんな広場はなかったはずなんで。
後の区画整理で景観が変わった可能性はありますが、そもそも昔の私は「貫一お宮の像」見てませんもの。
少なくとも、この像が設置された年以降にも来ているので、この道を通ったならば見かけるはずですし。
これ以上思い出そうとしても出てこないようなので、最後に熱海のビーチでも撮って帰るとします。
再び湯河原へ戻りホテルへ。風呂に入り、夕食の時間です。
相変わらず量は多いものの美味しかったので満足です。
寝る前に明日の予定を考えたのですが、このまま朝一で帰るか湯河原温泉によってから帰るか悩んだ結果、前者を取りました。
ホテルや町のパンフで調べていくうちに、わざわざ行くほどのものでもないなという結論に至ったためです。
その分、ここのホテルで温泉を十分堪能することにします。
翌朝、朝食を済ませた後
我が家へ帰りますか。
帰りはグリーン車を使わずにしようかと思ったのですが、乗客が思いのほか多かったので結局グリーン車を使うことにしました。
熱海が始発(湯河原は次の駅)だから座れるだろうと高を括っていたのですが、やはり東京の通勤圏は利用者が多いようです。
あとは特に書くことがないので、そのまま家に戻りました。
今回の旅を振り返ってみると、温泉よりも小田原の北条氏と熱海の方が気になっていつもと変わらない結果になりました。
結局自分の趣味が最終的に前面に出てくるんですよね。
こんな調子では他人と旅行するのは無理な気がします。
同じ席で出された料理がこちらです。
右の鍋はアジの開き、左の鍋は湯豆腐が入っていました。
これにご飯とみそ汁が当然付くわけですが、これもまた思いのほか量が多かったです。流石に昨日の夕食ほどではありませんが、ご飯をおかわりすることなく食事を終えました。
最近というかここ十年ほどは専らビジネスホテルばかり泊まっていたので、普通の旅館やホテルの食事がどういったものかよくわかってなかったりするのですが、こんなに量が多いものなんですかね?
味も悪くなかったし、これだけの量を食べられるのなら文句はないのですが、少し疑問に思ったので。
というわけで、今日は小田原城へ行きたいと思います。
電車に乗って20分ほどで小田原に着きました。ここから10分ほど歩くと小田原城です。
天守閣内にある資料や説明を読んで気づいたのですが、後北条氏がこの地を治めて100年近く内紛らしい内紛が起きていなかったんですよね。
足利幕府になってから、日本の至る所で親族同士の内輪もめが横行していた世の中にあってこれは稀有な例ですよ。
内政面でも他国より低い税制、中間搾取を廃止したりと公正な政を実施したおかげで、安定した統治を行っていたところを見ると、広大な関東一円を治められたのもうなずけますね。
あとは、後北条氏の開祖となった北条早雲(伊勢盛時)が浪人から戦国大名にのし上がった説が否定されていたことですかね。
私が子供の時はまだその説が有力でしたから、子供向けの本(日本の歴史漫画版)にはそちらで描かれていました。
現在では備中伊勢氏の出自で、幕府の要職に就いていた説が有力なようですね。
それと、後北条氏が北条の姓を名乗るのは早雲の嫡男である氏綱になってからであって、伊勢盛時が北条早雲と名乗ったことがないことは初めて知りました。
私が子供の頃に読んだ歴史の本には鎌倉時代の北条氏と戦国時代の北条氏は何も関係がないと書かれていましたけど、近年では氏綱の正室が鎌倉北条氏の末裔である説も出てきたので、全く無関係というわけではないようですね。
さて、新たな歴史の勉強も済んだのは良いとして、時刻はまだ昼過ぎたばかりなんですよね。まだホテルに戻るには早いしどうしたものかと考えていたら、そういえば熱海がすぐ近くにあったなと。
今回の目的地の候補にも挙げていた所ですが、私が最後に熱海へ行ったのは30年近く前なんですよ。
その時は祖父母が住んでいた区の保養所に泊まって海水浴へ行ったのですが、その保養所も20年近く前に廃止され取り壊されたそうです。
折角なのでその跡地と昔通った道筋を辿ってみることにします。
再び電車に乗って20分強、県境を越えて静岡県の熱海へやって来ました。
........................やって来たのは良いのですが、ここ本当に熱海ですか?
駅舎が何か随分とオシャレになっているのですが........................
自分の微かに残っている記憶をたどっても、過去の熱海駅とまるで合致しないですね。まあ、オシャレな建物に変わっても駅前の人だかりは昔と変わらないようです。
だって、年配の方ばかりなんですもの。
それはそうと、それではかつてあった保養所の跡地へ行くとしますか。
駅を出て西へ行き平和通の商店街を抜けて数十メートル進むと右へ分岐する道があります。
そう、確かこの道を登って行ったんですよ。
途中鉄道のガード下をくぐり
ひたすら坂道を登って行きます。
登っていくと簡単に書いていますが、これが結構急な坂でちょっとキツイです。
というか、小学生だった当時の私は、こ、こんな坂道を、う、海に行く度に、の、登って、いたんですか?
今じゃ絶対考えられん! それに同伴していた両親と祖父母は凄かったんだなあと改めて実感しました。
今の私の年齢は当時の両親と同じくらいなはずなんですが............(;・∀・)
そして、ようやく目的地へ到達しました。
写真の左手にかつて保養地があったのですが、現在は個人の住宅が建っているのでこれ以上詳細な写真を撮るわけにはいきませんでした。
写真中央の道路の真ん中に立っている木が目印だったのは今でも覚えていますが、まだ残っていたとは............
写真だと木に隠れていますが、この道をさらに登って行くと、斜面に階段のような造りになっているマンションがあります。
ネットの拾い物画像で申し訳ありませんが、ちょっとうまく撮れなかったもので。
あまりに巨大なので海からも見えるのですが、以前来た時には既にあったのでそんな前からあるんだと思ったら、竣工が1989年だそうです。
ということは、昔の私が見た時はまだ新築だったんですか。子供ながらに、なんかすごいのが建ってると物珍しそうに見た記憶が残っていましたけど。
当時はバブル景気で色々なところにリゾートマンションが作られていましたからね。
マンションの名前は今まで知らなかったのですが、調べてみると「熱海パサニアクラブ」という名前らしいです。
まあ、どのみち私には一生縁のない所なんで、そろそろもと来た道を戻ることにします。
急斜面なので降るときも多少注意しないといけません。もし雨が降っていたら滑る可能性は大きいでしょうね。
ただ、所々滑落防止用に地面に溝が彫られているので、一気に駆け下りたりしなければ大丈夫だと思いますが。
さて元の通りに出たはいいものの、かつてここからどこを経由して海に行ったのかまったく覚えていないことです。辛うじて覚えているのが途中階段を使ったことぐらいで、あとはさっぱりです。
スマホのマップを頼りに何となく道筋に沿って歩いて行き、海へ着いたもののこの道じゃなかった気がするんですよね。
私が微かに覚えている記憶だと、こんな広場はなかったはずなんで。
後の区画整理で景観が変わった可能性はありますが、そもそも昔の私は「貫一お宮の像」見てませんもの。
少なくとも、この像が設置された年以降にも来ているので、この道を通ったならば見かけるはずですし。
これ以上思い出そうとしても出てこないようなので、最後に熱海のビーチでも撮って帰るとします。
再び湯河原へ戻りホテルへ。風呂に入り、夕食の時間です。
相変わらず量は多いものの美味しかったので満足です。
寝る前に明日の予定を考えたのですが、このまま朝一で帰るか湯河原温泉によってから帰るか悩んだ結果、前者を取りました。
ホテルや町のパンフで調べていくうちに、わざわざ行くほどのものでもないなという結論に至ったためです。
その分、ここのホテルで温泉を十分堪能することにします。
翌朝、朝食を済ませた後
我が家へ帰りますか。
帰りはグリーン車を使わずにしようかと思ったのですが、乗客が思いのほか多かったので結局グリーン車を使うことにしました。
熱海が始発(湯河原は次の駅)だから座れるだろうと高を括っていたのですが、やはり東京の通勤圏は利用者が多いようです。
あとは特に書くことがないので、そのまま家に戻りました。
今回の旅を振り返ってみると、温泉よりも小田原の北条氏と熱海の方が気になっていつもと変わらない結果になりました。
結局自分の趣味が最終的に前面に出てくるんですよね。
こんな調子では他人と旅行するのは無理な気がします。
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